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最高裁判所第一小法廷 昭和48年(オ)30号 判決

上告人

八谷守

右訴訟代理人

今泉三郎

被上告人

今澤一郎

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人今泉三郎の上告理由第一点について。

所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができ(最高裁昭和二八年(オ)第七五五号同二九年一月一四日第一小法廷判決・民集八巻一号一六頁、最高裁昭和二七年(オ)第一〇六九号同二九年七月二二日第一小法廷判決・民集八巻七号一四二五頁参照)、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

同第二点について。

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

同第三点について。

原審は、被上告人が任意競売手続において昭和四五年一〇月一六日本件家屋を競落し同年一一月二一日競落代金の支払を完了してその所有権を取得し同月二六日その所有権移転登記を経由したこと、および、上告人が本件家屋の一部を占有していることを認定したうえ、上告人が昭和四四年九月一日本件家屋の前所有者から右占有部分を、期限を昭和四六年八月三一日までとして、賃借しその引渡を受けた旨の上告人の主張につき、右賃貸借は同日限り終了しているものと判断し、かつ、右の賃貸借に際し上告人が前所有者に差し入れたという敷金の返還請求権をもつてする同時履行および留置権の主張を排斥して、被上告人の所有権にもとづく本件家屋部分の明渡請求を認容したものである。

そこで、期間満了による家屋の賃貸借終了に伴う賃借人の家屋明渡債務と賃貸人の敷金返還債務が同時履行の関係にあるか否かについてみるに、賃貸借における敷金は、賃貸借の終了後家屋明渡義務の履行までに生ずる賃料相当額の損害金債権その他賃貸借契約により賃貸人が賃借人に対して取得することのある一切の債権を担保するものであり、賃貸人は、賃貸借の終了後家屋の明渡がされた時においてそれまでに生じた右被担保債権を控除してなお残額がある場合に、その残額につき返還義務を負担するものと解すべきものである(最高裁昭和四六年(オ)第三五七号同四八年二月二日第二小法廷判決・民集二七巻一号八〇頁参照)。そして、敷金契約は、このようにして賃貸人が賃借人に対して取得することのある債権を担保するために締結されるものであつて、賃貸借契約に附随するものではあるが、賃貸借契約そのものではないから、賃貸借の終了に伴う賃借人の家屋明渡債務と賃貸人の敷金返還債務とは、一個の双務契約によつて生じた対価的債務の関係にあるものとすることはできず、また、両債務の間には著しい価値の差が存しうることからしても、両債務を相対立させてその間に同時履行の関係を認めることは、必ずしも公平の原則に合致するものとはいいがたいのである。一般に家屋の賃貸借関係において、賃借人の保護が要請されるのは本来その利用関係についてであるが、当面の問題は賃貸借終了後の敷金関係に関することであるから、賃借人保護の要請を強調することは相当でなく、また、両債務間に同時履行の関係を肯定することは、右のように家屋の明渡までに賃貸人が取得することのある一切の債権を担保することを目的とする敷金の性質にも適合するとはいえないのである。このような観点からすると、賃貸人は、特別の約定のないかぎり、賃借人から家屋明渡を受けた後に前記の敷金残額を返還すれば足りるものと解すべく、したがつて、家屋明渡債務と敷金返還債務とは同時履行の関係にたつものではないと解するのが相当であり、このことは、賃貸借の終了原因が解除(解約)による場合であつても異なるところはないと解すべきである。そして、このように賃借人の家屋明渡債務が賃貸人の敷金返還債務に対し先履行の関係に立つと解すべき場合にあつては、賃借人は賃貸人に対し敷金返還請求権をもつて家屋につき留置権を取得する余地はないというべきである。

これを本件についてみるに、上告人は右の特約の存在につきなんら主張するところがないから、同時履行および留置権の主張を排斥した原審判断は正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(下田武三 大隅健一郎 藤林益三 岸盛一 岸上康夫)

上告代理人今泉三郎の上告理由

〈前略〉

第三点 原判決は敷金は賃貸借から生じる損害填補のため提供するもので建物自体との牽連は認められず賃借人において賃借物を返還したのちに、はじめて敷金返還請求権が生ずるものと解するのが相当であるとして上告人の抗弁は失当であると判示している。

然し乍ら敷金返還請求権は民法第二九五条第一項の債権に該当するものであつて留置権を容認すべきである蓋し敷金は建物の賃貸借なる経済的関係において発生し賃貸人が敷金の返還をなさずして建物の明渡を求めることは社会観念上不当と思料されるからである。

実際上世間の慣習として建物の賃貸借契約が解除され借主が貸主に対して建物を明渡す時には同時に貸主が借主に対して敷金を返還しているのであつてこの慣習は一般社会に於て何の疑もなく当然として受取られているのである。

この点につき原判決には経験法則上の違背があるものとして破棄を免れないものと信ずる。

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